2011/01/31

日本の文系大学院はリスク多し

ある同僚の先生との世間話で、最近、学生から、たまに大学院進学の相談話を持ちかけられるという話題が出た。とくにウチの大学は、私が所属する学部では現在のところ大学院を持っていないので、大学院に進学する学生の多くは近くの某旧帝大に進む。実際、毎年ある程度の人数の学生がそこに進学している。

ただ、大学院に進学した後、理想と現実のギャップに悩んで母校であるウチの大学の恩師に相談にやってくる学生がけっこういて、とくに最近は増えているらしい。

いまさら言うまでもないことですが、日本の文系大学院というのは、手とり足とり指導はしてくれず、基本的に放任主義です。私の出身大学院である某国立旧帝T大学の出身研究科は放任というより「放置」でした。何せ、自分からコンタクトをとらない限り、半年1年平気でほったらかしにされるような環境でしたし、指導教員から指導らしい指導を受けたことは、極端な話、在学中一度もありませんでした。

ですので、自分の研究や問題関心に対して、ある種の「こだわり」を持っていないと、いずれ潰れてしまいます。とくに、私の本務校は女子大で少人数教育が徹底しているということもあり、先生方はみな親切すぎるほどなので、こんな環境で育ってきて、学生たちはそれが当たり前と知らず知らずのうちに認識してしまっているので、総じて撃たれ弱く、大学院に進学した後、良くも悪くもこうした放任主義型の環境に突き当たってよけいに「カルチャーショック」を受けるというのもあるでしょう。

しかし、そういう点を差し引いても、今の日本の文系大学院の教育の現場は、ここではあえて書きませんが、かなり惨憺たる状況が繰り広げられている現状が大学院に進学した学生たちの相談の声からかなり切実なものとして聞こえてきます。研究そのもので悩むよりも、指導教員やその周辺にいる教員たちとの関係の方で多くの神経をすり減らさざるを得ない。2009年には、東北大学博士課程の院生が指導教員の不適切な指導により、2年連続で博士論文を指導教員に受け取ってもらえず自殺したという事件が大きくクローズアップされましたが、このような形で世間に明るみになるのは氷山の一角といってよいでしょう。

自分の経験からいっても、日本の文系大学院、とくに博士課程は、信じられないような封建的社会です。教員からの嫌がらせのような指導により、研究が不当に貶められたりして、精神的に強いダメージを被ることなど日常茶飯事です。一生懸命まじめに研究するより、指導教員に取り入る方が、間違いなく博士号取得への近道にもなっています。したがって、日本の場合、死ぬほど苦労しても、結局博士号が取得できないケースも多々あります。(日本では博士号、とりわけ人文社会科学系の博士号が社会的に評価されないのは、こうした現状を社会や企業側もそれなりに認識していることも関連しているでしょう。)

これに対し、アメリカの博士課程は実力主義が徹底しています。指導教員が贔屓や嫌がらせをできないように、論文の審査は無記名で、かつ他大学の教授が行うというような仕組みが作られています。与えられたカリキュラムを頑張ってクリアしていけば、ほぼ間違いなく博士号はもらえます。

また、日本では、文系大学院=社会不適合者、日本社会で規範的とされる生き方を逸脱してレールを外れた者との認識が社会的に根強いこともあり、このことがよけいに文系大学院とくに博士の就職難を生んでいるといえます。東大の博士課程修了者でも就職率は50%にも満たないというデータもあり、これを人文社会科学系のみに限定すれば、博士号取得者もしくは博士課程修了者のパーマネントポストでの就職率は、おそらく30%にもならないでしょう。

このような「象牙の塔」の現状はつい最近まであまり世間で知られておりませんでしたが、最近は「高学歴ワーキングプア」「博士の就職難」が社会問題として大きく浮上し、その実態が一般社会でも知られるようになってきていることもあり、博士課程への進学者は2004年頃をピークに減ってきているようです。(その関係もあるのか、自分の勤務校の近くの某旧帝大のいくつかの研究科は、数年前より毎年ウチの大学で大学院進学説明会を行うようになっております。これは、ウチの大学の要請で行っているのではなく、先方から説明会を行わせてほしいという依頼により実施しています。)そのため、旧帝大クラスの有名国立大学でも博士課程の定員割れが相次ぎ、文科省も、2009年には博士課程の定員縮小という方向に高等教育政策を転換させました。

日本の文系大学院とくに博士課程の進学者は、全部が全部そうとは言いませんが、大きく次の三つのタイプの学生で占められております。第一に、アジアを中心とした外国人留学生、第二に、新規学卒で就職が上手くいかなかった、あるいは新卒で就職する気がなかった人、そして第三に社会人からの出戻り組。このうち、どのカテゴリーの学生層が最も多いかは大学や研究科によっても異なります。一概には言えませんが、このなかで、最も進学を勧めることができないのは第二のタイプです。(その意味で、よく日本の人文社会系大学院は、社会不適合者とアジアからの外国人留学生の巣窟といわれています。)


研究者の世界というのは、世間一般にはインテリ層とみなされているため、その実態は厚いヴェールで覆い隠されておりますが、とくに日本では、ごく一部の成功者を除けば、多くはワーキングプアに転落してしまうのが現実なので、芸能人の世界と構造的には何ら変わらないといえるでしょう。博打のようなものです。なので、ごく一部の人を除けば、①実家がお金持ちで、しかも両親や配偶者に理解がある、②研究で身を立てることができなくても食いっぱぐれる心配がない(定年退職者、専業主婦など)、といった立場にいる人でなければ日本の文系大学院というところは行かない方が賢明でしょう。

このような現状から、私は学生に対して、よほど強いこだわりがない限り、日本で大学院に行ってはダメと「忠告」しています。それでも大学院に進学したいというのなら、その教員がたんに研究者として優れているというだけでなく、教員の人格的な点も含め、よほどこの先生に付いて、そこでしっかりやっていけば大丈夫という確信が持てない限り、進学するのは非常にリスクが高いと「警告」しています。


それと、お金と英語力があれば、欧米の一流大学の大学院に行った方が絶対によいです。学位取得までのプロセスやそこに至る評価システムが日本よりしっかり確立されているだけでなく、英語力もつきますし、世界に人脈が持てるからです。実際、アジアの留学生も、インド、フィリピン、香港など英語圏もしくは準英語圏の学生は、元から日本を通り越して欧米の大学院を志向する傾向がありましたし、今後は、日本への留学生の二大供給源である中国と韓国においても、ますますそうなっていくでしょう。とくに研究者の業界は、今後、理系だけでなく人文社会科学系においても、ますます国内だけでは労働市場が完結しなくなりますし、もともと研究者の世界に国境はありませんので、その方があなた方のためですよと口を酸っぱくして学生たちに言っています。

2 件のコメント:

  1. 私は今大学院に進学するつもりです。中国人の主婦ですけど。今日本に住んでいます。日本語はまだまだです。英語に自信を持っていますけど。もともとアメリカで働いた時、日本人の夫と付き合いました。いつかまたアメリカに行きたいです。まあ、一応日本で修士を取ろうと思います。先生の文章を読んで、日本での博士課程は本当に大変そうと感じました。
    アメリカに進学したいですけど。現時点なかなか難しいです。
    まず日本で頑張っています。

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    1. yue panさん

      以前はコメントをくださってありがとうございました。
      お返事をいただいてから半年以上も経ってのご返信ですみません。
      とても自然で流ちょうな日本語ですね。
      日本の博士課程は、たしかにあまり薦めることができませんが、
      修士はとりあえず進学してみても悪くはないのではと思います。
      その後、もしさらに研究をつづけたければアメリカを目指すように
      されるのはいかがでしょうか?
      頑張ってくださいね。

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